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略歴
○明治32年2月14日、北小泉に生まれる
○小泉小学校卒業
○旧制安積中学校(現安積高等学校)を主席で卒業
○旧制第一高等学校(現東京大学教養学部)卒業
○旧制東京帝国大学医学部(現東京大学医学部)を主席で卒業
○東大小児科教室・薬理学教室で研究を進める
○昭和8年医学博士の学位を授与される
○昭和8年東京浅草三筋町に開業する
○一時期、小泉にもどってきて村長職も兼ねる
○俳句は、昭和3年より鹿火屋に投句。昭和13年より馬酔木に拠る。昭和36年馬酔木同人(水原秋桜子、加藤楸邨、山口誓子などが参加)となる。昭和45年沖の創刊に参画し最初の同人となる。
○昭和46年3月12日心不全のため逝去。享年72。
「夢の鴨」橋本秀樹さん(俳名 橋本冬樹さん)が出版した句集
この句集に、橋本冬樹さんが作った最後の句が掲載されている。
 一線の水尾の返照夢の鴨
この句に対して、能村登四郎さんが以下のようなコメントを掲載されている。橋本さんの人となりをうかがい知れる文章ですので、掲載させていただきます。

 橋本冬樹さんの最後になった一句をよんで、私は一瞬身ぶるいするようなつよい感動を受けた。
 あの温和で几帳面な冬樹さんが、いつのまにこんなに奥深い世界をみつめていたということに気づき、ある驚きを感じたからである。
 冬樹さんの無口は有名であるが、その一方実に几帳面で、行き届いていた。(中略)病の急変でついに不帰の客となった。
 私はしばらく口がきけないほど落胆したが、すぐにあの「夢の鴨」の句のことが思い出されていた。あの句はあきらかに冬樹さんが病床で呻吟されていた時にみた幻想を詠んだものに違いない。高熱の夢うつつの中で見た、最期の美のまぼろしであろう。
 川面を走る鴨の尾が引くほそい一線の水尾、その水尾にははかない冬の薄日の光がかすかな返照をみせている。「夢の鴨」と言ったのはあきらかに夢の中での幻覚として見た鴨という意味であろう。と私は解釈した。
 それにしても何と美しい幻を見られたのであろう。
 冬樹さんの俳句は馬酔木で何十年と鍛え上げた句で、決して机上や頭で作った句ではない。又美しい言葉をさがしたり、目先の変わったことをして人を驚かせるようなことは一切出来ない人である。すべて、自分の眼でたしかめたもの以外は絶対に詠まない人である。その冬樹さんがどうしてこんな幻想的な美しい句を詠んだのであろうか。それはおそらく死と現実との境界にある人間のみがもつ人に知られない美の世界への彷徨があったのだろうと思った。
(以下略)