にもどる    「地域の特色メニュー」へ   「妙音寺遺跡メニュー」へ 

学区にある妙音寺遺跡以外の主な遺跡

一覧表は、こちらをご覧下さい

岩ヶ作遺跡
 阿武隈川東岸沿いにある福島交通根木屋バス停から南東へ約500m、川を西に見下ろす高台にあります。平成6・7年の発掘調査では、縄文時代の落とし穴や平安時代中頃(約1,100年前)のムラ跡などが見つかりました。
 調査した場所の最も北側の住居跡からは、鉄を熱して叩いたときに飛び散る鍛造剥片や炉に風を送るふいごの羽口などが出土しており、この住居跡では鍛冶作業が行われていたと考えられています。

鍛冶作業を行った平安時代の住居跡
大鏑舘跡
 富久山清掃センターの南側に広がる西岸低地上にあります。平成14・15年の発掘調査では、主に戦国時代(約500年前)に使われていた2つの郭とこれらを守る大きな掘や土塁が見つかりました。
 郭内にある井戸跡やゴミ捨て穴からは、大量の石臼やその未製品、近世の陶磁器などが出土しており、この場所で石臼を作っていたことや江戸時代にも引き続き土地利用されていたことがわかりました。

真上から見た、大鏑舘跡
山田C遺跡
 逢隈橋の北東約800m、福島交通堂坂バス停東側の川を西に見下ろす高台にあります。平成7〜9年の発掘調査では、縄文時代後期前葉(約3,700年前)の住居跡や平安時代はじめ頃(約1,200年前)から中頃(約1,100年前)のムラ跡などが見つかりました。
 平安時代のムラ跡からは、副葬品として刀子(とうす)や鉄鏃(てつぞく)がおさめられたお墓が見つかり、これについては兵士として徴用されたムラ人がうめられたと考えられています。
平安時代の兵士のお墓
刀子(とうす)や鉄鏃(てつぞく)が出土
夢田遺跡
小泉山田A遺跡
屋敷添遺跡
浜井場経塚
堂坂供養塔
 西暦1300年のもの
 集古十種に「堂坂妙音寺碑」として紀年銘、願文の一部のみ集録されています。明治以降所在不明でしたが、昭和38年春、妙音寺跡の観音堂境内に埋もれていたものを発見し、奉賛会の方々によって現在地に再建立されました。
高さ 141.0p
幅   67.0p
厚   15.0p
凝灰岩でできています。

郡山市重要文化財指定
北小泉供養塔
西暦1318年のもの
中尊に金剛界大日如来、若くして没した娘の供養に悲しみに溢れる両親の切なる願いを込めて建立されたもの。
高さ 153.0p
幅   50.0p
厚   13.0p
凝灰岩でできています。
※ このページの内容については、「平成19年度市内遺跡発掘調査成果展」(郡山市民文化センター:7月28日(土)〜8月5日(日))の内容を参考、引用して作成してあります。