明治5年(1872)明治政府は、男女の別や貧富の差に関係なく、全国民に同等の教育をすることを目的として「学制」を発布し、教育の基礎を築きました。明治8年には、笹川小学校が天性寺に開校しました。児童は50数名でした。明治9年には、日出山分校が開校し明治31年には、いまの安積一小の場所に永盛尋常小学校が新築され、明治32年には笹川小学校、日出山小学校もそこに統合されました。昭和29年には、永盛町と豊田村が合併して安積町となり、永盛尋常小学校が安積第一小学校に、豊田小学校が安積第二小学校となりました。むかし娯楽の少なかった農村の人々にとって、桜が咲く春の運動会は待ちどうしく、ご馳走をつくって集まりお祭りのようでした。昭和34年に給食が実施されるまでは弁当持参でしたが、近くの人は家に食べに行くこともあったようです。明治、大正の頃は、弁当はほとんどが麦ご飯で、おかずはみそ漬けか梅干しが普通でした。昔の教科書は、その時代によって内容が大きく違っていて、第2次世界大戦前は、軍国主義の教育がなされ、戦後になりアメリカの民主主義の教育が行われました。

昔の子ども
昔のあそび
方言となまり

むかしの学校