鬼生田と称される地名は、蝦夷の大将「大多鬼丸」の出生の地であるがゆえに起きたと伝えられている。この大多鬼丸は、知略、武勇に優れ、ついには蝦夷の大将になり、奥州の覇者として君臨したという。力が強く、無敵の大多鬼丸を人々は「鬼」と称したと言われる。坂上田村麻呂が蝦夷征伐に来た際、蝦夷の大将として一大決戦を交えたのである。鬼生田の地名は、この大多鬼丸出生の地として現在も残っており、鬼生田小学校はその地名をとっている。鬼生田小学校の児童は「鬼っ子」という愛称で地域の人たちからかわいがられ、大多鬼丸のように賢く、強く成長できるよう温かく見守られている。
鬼生田小学校の校章は、プラタナスの葉に菱の実をデザインしている。敷地内には樹齢100年近くの二本のプラタナスの大木が悠々と枝葉を広げている。また、地域にはため池が点在し、その中に菱が群生し趣のある風景を作り出している。
鬼生田小学校の校章は、シンボルツリーともいえるプラタナスの豊かに茂る様子と豊かな実りを表わす菱の実を象徴している。